トップ画像
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告
探求:伊藤順三氏(その2)
2009-03-14 Sat 22:01
さて、お孫さんのAさんとお会いしたのは上野の某喫茶店。
奇遇だが、上野は伊藤順三氏が一時期住んでいたという。

Aさんは埼玉県下で書店の副店長をなさっている。
ご祖父のことを検索エンジンで調べている際に、このブログについて知り、コンタクトをとってくださった次第。

Aさんのご自宅には順三氏についての手がかりはあまり残されていない。
2枚の絵、それと「恭親王」との共作の掛軸。そして絵が描かれた扇子。若干の絵の具。その位だという。

※この「恭親王」であるが、Aさんの調査によると愛新覚羅「溥偉」(1880-1936)と推測される。
Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%96%B0%E8%A6%9A%E7%BE%85%E6%BA%A5%E5%81%89

Aさんは順三氏の生年についてはご存じないとのこと。
ただし大連にて没後、大連三越にて1939年(昭和14)10月に遺作展が開かれていることが、残された写真アルバムから判明した。
その写真アルバムを丹念に見ていくと、同じ年の1月には大連神社で写った写真があった。これにより、没年は(東京美術専門学校=現・東京藝術大学の卒業制作資料どおり)1939年で確定したと言える。

生年については依然として上の資料のもの(=1890年・明治23)しかない。
Aさんの記憶によると、親族が「順三さんは日露戦争に従軍し、所属部隊が壊滅したなかで唯一生き延びて、たまたま取って逃げた銃が自分のものであったから”天皇陛下の銃を守った”との由で表彰された」と言っていたという。

しかし、そうなると14ないし15歳で参戦したことになり、志願兵で17歳~、兵役で20歳~という1889年施行の徴兵令に照らし合わせると矛盾する。
Aさんは「ひょっとすると誰か別の親族の話だったかもしれないな…」と、あまり確証がないご様子。

※管理人コメント
なお、似たようなケースがインターネット上の質問コーナー:
http://qa.asahi.com/qa1764826.html
でなされており、ここでは同世代の徴兵話は「日露戦争」ではなく「シベリア出兵」だったのではないか、との意見が出されている。
また(その1)でも触れたが、1904年の日露戦争開戦時には、順三氏は巽画会の横浜支部に出没していたとする資料もある。
いずれにしても生年については確たる資料を今後とも探したいところ。

Aさんによると、順三氏は上野にあった「小河屋」という呉服店の息子であり、「三」である以上、三男だったのではないか。
妻・(旧姓三浦)静子氏との間に長男「リョウ」氏(正確な漢字名については不明、また小学生時代に亡くなったという)、次男「伊織」氏をもうけた。この伊織氏の一人息子がAさんである。

順三氏の没後、家族は日本に帰国し、池袋に住んだ。Aさんも池袋でお生まれになったということであった。
順三氏の墓は千駄木の宗禅寺にある。

~~~~
…以上が、Aさんから得られた情報であった。
探求:伊藤順三氏 | コメント:0
<<日本ライン 犬山の桜(吉田初三郎、名鉄電車) | 旅の意匠 Travel Arts in Modern Japan: Shun'ichiro Nakamura Collection | 探求:伊藤順三氏(その1)>>
この記事のコメント
コメントの投稿
| TOP PAGE |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。